東京生まれ。10代で舞台美術の伊藤熹朔(きさく)に師事したが、1941年に日活へ入り、映画美術を担当。豊田四郎、久松静児、内田吐夢らの監督作品で職人的な技術を発揮した。一方、「東京流れ者」「ツィゴイネルワイゼン」などの鈴木清順監督作品では、原色を大胆に使った装飾、象徴的なセットで独特の世界を表現した。
ベテランから若手まで、さまざまな監督と組み、毎日映画コンクールの美術賞を3度受賞。対象作は、54年度が豊田監督の「或る女」と山村聡監督の「黒い潮」▽81年度が熊井啓監督の「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」▽86年度が熊井監督の「海と毒薬」、根岸吉太郎監督の「ウホッホ探険隊」、林海象監督の「夢みるように眠りたい」だった。
日活を退職した後も美術監督を続け、日活芸術学院や東京工芸大などで後進を指導した。08年、90歳のときに「夢のまにまに」で長編監督デビュー。09年にも監督作「黄金花 秘すれば花、死すれば蝶」を発表した。
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